| 第9回 岸和田城下の成立 平成19年3月18日 於:岸和田城下 |
今日は郷土史家の玉谷哲先生の案内で、岸和田祭が育まれた岸和田城下の成立を学び、岸城神社阪井宮司さんのお話を聞きます。

今日は晴天

紀州街道・本町界隈

岸和田だんじり会館に集合し、徒歩5分。まちづくりの館(本町)に到着。


村・町・浜の三郷に分かれた岸和田城下の成立過程を詳細に解説していただきました。
大きな地図は、玉谷先生手製の岸和田城下復元図(まちづくりの館に常設)

配布した岸和田城下再現絵図を見ながら場所を確認します。

30分ほどで予備知識を入れ、城下巡りに出発します。

『地車名所独案内』裏表紙:正保二年和泉国岸和田城図
今日の予定
紀州街道(本町)→一里塚弁財天(本町)→枡形・汐入門跡(中町)→枡形・汐入門跡(大手町)
→枡形・内町門跡(本町)→枡形・堺口門跡(堺町)→欄干橋(魚屋町)
→コナカラ坂(三の丸)→二の丸→三の丸稲荷社(三の曲輪)→岸城神社(三の曲輪)

一里塚の脇に祀られた弁財天です。
町並みに調和した本町の地車小屋の横にありました。

続いて浜手の脇道に入ると中町の地車小屋付近で道が鍵型(直角+直角)に折れています。
城下には遠望を妨げ敵の侵入を鈍らせるために「枡形(ますがた)」と呼ばれるこのような折れ曲がった道が何カ所にも設けられています。
これより海側が「浜方」で、昔は「汐入門」と呼ばれる門があったそうです。

中町の町会館のすぐ近くに防潮石垣が残っています。現在ではこの一ヶ所に現存するのみですが、古くは城の外郭を形成する長い石垣でした。
この石垣より城側が「町方」、海側が「浜方」となります。

岸城神社に宮入りする地車が宮入り時に通過するところ。この場所も汐入門と呼ばれ枡形を形成しています。

続いて紀州街道を大阪方面に移動します。
本町と堺町との境界にも「内町門」と呼ばれる門があって枡形を形成しています。
地車曳行においては「S字」と呼ばれ、二段階の難度の高いやりまわしが行なわれます。

堺町と魚屋町の境界には「堺口門」があって、ここも枡形を形成しています。
地車曳行においては「S字」と呼ばれ、二段階の難度の高いやりまわしが行なわれます。

現在は暗渠となっている古城川に架かる欄干橋を遠望しました。
城下に木製の橋しかなかった時代、いち早く石橋となった橋とのことです。



だんじり祭の名所「コナカラ坂」。「コナカラ(半小)」とは「ナカラ(半)」の半分、つまり90度の四分の一を意味します。


岸和田城前でひと休憩。現在まで通った場所を地図と本で確認します。
続いて二の丸公園に移動です。

皆で石垣を観察。


石垣の石に何やら家紋のようなものが彫られています。
城普請の際、受け持ちを割り当てられた大名の紋ではないかとのことでした。

三の丸稲荷へ移動します。

江戸時代、岸和田城内には
神明社(城郭形成以前からの産土神)、牛頭天王社(現:岸城神社・・・城の鎮守社)、三ノ丸稲荷社(元禄年間に藩主が勧請)
の三社が御鎮座していました。
各神社の祭礼日に、人々は参詣を許され、獅子舞や相撲、俄芸などを行なって藩主の上覧を賜ったとのことです。

続いて堀端を歩いて岸城神社へと移動します。


鳥居前では阪井宮司さんが出迎えてくれました。

まずは、手水鉢で清めます。

本殿は650年大祭に向け新築工事中のため、仮殿となる戎神社にお参りしました。




神社の歴史やだんじり祭と神社の例大祭との関係など詳しく話をしていただきました。


最後に阪井宮司さん、玉谷先生を入れて記念撮影。
今日は本当にありがとうございました。

今回の篠笛講習会は神社のお座敷をお借りしました。ピシッと正座をしての練習です。
音の響きも良かったです。
次週は最終回終了式です。現在皆勤は15名。
これまでの内容を写真を見ながら振り返ります。
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